再生神話

大国主神を主祭神とし、須佐之男命と櫛名田比売(くしなだひめ)を合祀する。
古事記によれば、大穴牟遅神(大国主神)には八十神といわれる多くの庶兄弟があった。
八十神たちが八上比売に求婚するため、稲羽へ旅する途次、後から従っていた大穴牟遅神は、気多の前(現在の伯兎海岸か)で素菟を救い、八上比売と結婚したので、八十神たちの恨みをかった。
出雲への帰途、「伯伎の国の手間の山本」で、八十神たちは、「赤き猪この山に在り。故、われ共に追い下しなば、汝待ち取れ。若し待ち取らずば、必ず汝を殺さむ。」といい、猪に似た石を真っ赤に焼いて転げ落とした。
大穴牟遅神はその石を抱いて焼け死んだ。
母神刺国若比売は泣きながら天上に上り、神産巣日之命に訴えたので、キサガイ比売(赤貝の神)とウムギ比売(蛤の神)を遣わされた。
二神は、石に張り付いた大穴牟遅神の身体きさげ集め、貝殻を削った粉を清水で母乳のように練って塗ったところ、たちまち蘇生して麗しい男子になり、元気に歩きまわられた。
「伯伎国の手間の山本」を現在地(南部町寺内字久清)として赤猪岩神社は祀られている。
【南部町・南部町観光協会設置の看板から転載】

封印されている赤猪岩

神社境内の社の裏手には、「大国主命が抱いて落命した」と言い伝えられている岩が封印されています。
この岩は、地上にあって二度と掘り返されることがないように土中深く埋められ、大石で幾重にも加蓋がされ、その周りには柵が巡らされ、しめなわが張られています。
これは、「厄の元凶」に対する注意を、子々孫々まで忘れてはならないことを教えています。
「受難」「再生」「次なる発展への出立」の地として、「再起」にご加護を願い赤猪岩神社を訪れる人は、数多であったと伝えられています。